1970年まで
ロサンゼルスの公立小・中・高校を卒業。
UCLAを卒業。
1年間スタンフォード大学の奨学生として勉強する。
コロンビア大学大学院にてTEFL(外国語としての英語教授法)を学ぶ。
私が初めて来日したのは、当時大学院に通いながら勤めていたニューヨークの会社が、東京支店を立ち上げようとしている時でした。その後無事新しい技術者とマネージャーが雇われ、新しい会社が軌道に乗ったのを見届けると、私は結婚のため会社を辞め、兵庫県宝塚市で生活を始めたのでした。
1ヶ月間は専業主婦をしましたが、私はすぐに働きたくなり、大手フランチャイズの幼児英語教育部門の責任者として、教師のトレーニングを行うことになったのです。
私生活では、双子の娘が生まれ、私たちは東京に戻ることになりました。さらに三人目の娘にも恵まれるとともに、私の英語教師としてのキャリアが本格的に始まり、近所の100人ほどの生徒を教えることになりました。ところが、私がアメリカの大学や大学院で学んだ教授法はあまり役に立たず、はじめは大変苦労することになります。
思えばアメリカで私が子どもの頃に日本語を学んだやり方とよく似ていました。週に一度だけの日本語のレッスンは英語で進められ、唯一日本語が使われたのはテキストを開いた時だけ。「しろい、しろい、しろいくも。あおい、あおい、あおいそら。」といった内容でした。
このようにして学んだ日本語は、私が初めて来日した時には、コミュニケーションの道具としてはまったく役に立ちませんでした。
同様に、当時の日本における英語の教え方は、生徒のアウトプットを助けるものではなく、全く実践的ではない、ただ先生の言うことを真似して繰り返すといった方法だったのです。